おいらせ町名誉町民のご紹介
名誉町民とは
名誉町民(3人)
名誉町民第1号 木村秀吉(きむら ひできち)1898年~1973年
称号授与年月日 昭和38年10月23日
生年月日 明治31(1898)年4月15日
出生地 三戸郡五戸町(現:五戸町)
昭和48(1973)年6月2日ご逝去(75歳)
昭和55年11月3日胸像除幕式
事績
戦前から母校である百石小学校に数々の支援と援助を賜り、教育の振興に多大なる貢献をされました。
また、郷里のことを常に心に留め、災害あるいは町の行事等にも多額の浄財を寄せられました。
昭和15年 | 百石小学校へ泰安殿建設資金 | 3,000円 |
昭和28年 | 百石大火見舞金 | 500,000円 |
昭和31年 | 百石小学校図書館建設資金 | 2,500,000円 |
昭和38年 | 育英寄金 | 10,000,000円 |
昭和43年 | 十勝沖地震見舞金 | 1,000,000円 |
昭和44年 | 町制施行40周年記念 | 1,200,000円 |
略歴
大正3年3月 | 百石尋常高等小学校高等科2年卒業 ※本来であれば、(転居地:市川村高屋敷)轟木小学校へ通学すべきところ、当時の百石村役場の配慮により百石小学校に入学、その後授業料免除により高等科にも進学することができた。 |
大正13年 | 木村鉛工所創立、鉛加工業を営む |
昭和14年 | 木村鉛鉄機械工業所を創立して業種の拡充をはかる |
昭和30年 | 藍綬褒章を受章 |
昭和32年 | 納税額日本一(個人)となる |
昭和33年 | 木村鉛鉄化学機械株式会社設立 青森県知事より県褒賞令第1号として受賞 |
昭和39年 | 紺綬褒章を受章 |
昭和43年 | 郷土青少年の人間形成に尽くした功績による第21回東奥賞受賞 |
昭和45年 | 紺綬褒章を重ねて受章 |
昭和47年 | 木村化工機株式会社会長就任 |
昭和48年6月 | 従五位勲四等旭日章を受章 |
名誉町民第2号 三村泰右(みむら たいすけ)1897年~1991年
称号授与年月日 平成元年8月26日
生年月日 明治30(1897)年10月29日
出生地 三戸郡市川村(現:八戸市市川町)
平成3(1991)年4月25日ご逝去(93歳)
平成3年10月5日 胸像除幕式
事績
昭和8年5月から昭和22年4月まで、百石町議会議員を連続3期、昭和22年4月からは、青森県議会議員として5期、16年余りの長きにわたり在職されました。その間、県議会議長をはじめとし、各種常任委員長など多くの要職を経て、その重責を果たすなど、百石町や青森県の自治、産業、文化の発展に大きく貢献されました。
略歴
昭和8年5月1日~昭和12年4月30日 | 百石町議会議員(1期目) |
昭和12年5月1日~昭和16年4月30日 | 百石町議会議員(2期目) |
昭和16年5月1日~昭和22年4月30日 | 百石町議会議員(3期目) |
昭和22年4月30日~昭和26年4月29日 | 青森県議会議員(1期目) |
昭和29年11月29日~昭和30年4月29日 | 青森県議会議員(補欠選挙・2期目) |
昭和30年4月30日~昭和34年4月29日 | 青森県議会議員(3期目) |
昭和34年4月30日~昭和38年4月29日 | 青森県議会議員(4期目) |
昭和38年4月30日~昭和42年4月29日 | 青森県議会議員(5期目) |
(昭和39年6月18日~昭和40年10月2日) | (青森県議会議長) |
昭和46年 | 勲四等瑞宝章を受章 |
名誉町民第3号 大山康晴(おおやま やすはる)1923年~1992年
称号授与年月日 平成元年8月26日
生年月日 大正12(1923)年3月13日
出生地 岡山県浅口郡西阿知町(現:岡山県倉敷市)
平成4(1992)年7月26日ご逝去(69歳)
平成5年8月21日 座像除幕式
事績
初来町(旧百石町)は、昭和53年「東北将棋強豪選抜大会」の審判長として迎えたときでした。その後「将棋の町」として、将棋の普及奨励及び文化芸術の充実並びに観光の振興を目指し、個性豊かな地域社会の実現と、将棋による特色あるまちづくりを進め始めた当町へ200回以上来町し、地域づくり事業に積極的に関わるなど、数々の功績を残され、将棋によるまちづくりの礎を築かれました。
- 昭和61年に全国将棋祭り実行委員会を発足し、全国将棋祭りを開催、大会審判長を長期間務めました。
- 子供から大人までの将棋指導や講演会の開催
昭和63年11月全国高校将棋選手権で百石高校が全国準優勝、また全国小学校団体対抗戦で昭和58年から全4回、百石小学校を全国優勝に導くなどの偉業を果たしました。 - 将棋関連の秘蔵品、資料、記念品等の寄贈
- 生涯成績 1,433勝781敗
略歴
昭和10年 | 木見八段に内弟子として入門 |
昭和27年 | 第11期名人獲得 |
昭和51年 | 現役のまま第十五世名人に就く |
平成2年 | 将棋界初の文化功労者顕彰 |
平成4年 | 正四位勲二等瑞宝章を受章 |